成人の日と、その後のこと
今週のお題「二十歳」のときの成人の日は、高校の同級生の、哲学系の学部に入った友達の下宿で、爆音でクレージーキャッツを聞いたりしながら、のんびり過ごした。そのころの成人の日は、一月十五日固定で、いまのように一月の第二月曜日というさまよえる祝日ではなかった。下宿の近所のうまい蕎麦屋に行って、神社を近道して下宿に向かうときに、通りすがりのおじさんがわれわれのツーショットを撮ってくれた。
それから五年後に、彼女は新婚の夫を残して自殺してしまった。あとから知ったが、彼女は毒親被害でかなり精神を病んでおり、夫はなんとか快方に向かわせようとしたが、悪化するばかりだったという。
その頃、毒親とかモラハラという言葉は馴染みが薄かった。子どもの人権や、児童虐待についての認知も、世間的にまだまだ低かった。わたしもまだ洗脳されていて、自分が毒親育ちだとわかっていなかったけれど、もしお互いの境遇について話すことができていれば、なにか変わっただろうかと、今でも考える。
だが、過去は変えられないので、いま身の回りにいて毒親育ちかも? という話をしてくれた人には、わたしが読んで役に立った毒親本を勧めることにしている。
彼女を含む高校の仲良しグループ(といってもつるんでトイレにいくタイプのそれではない)五人のうち、三人には子供が、そのうち一人は去年とうとう孫ができた。
彼女だけが、歳を取らない。彼女は大学の卒論で、坂口安吾の『風博士』を題材にしたと言っていたが、読ませてもらう機会は永遠に失われてしまった。
とはいえ、恥ずかしがる彼女に無理に読ませてもらうべきだったとは思わない。人生には、どうしようもなく変えがたいことがあるのだから。
今週のお題「二十歳」
そこそこ奇病、打つ手なし
新年早々、モンドール病というものになってました。洋菓子店みたいな名前のこの病気、重病でも難病でもなく、命の危険もないのですが、治療法も特になし。
こちらのPDFがわかりやすいと思うのですが、中年期以降の女性、乳がん手術後の女性に出がちな病気です。
たしかに乳がん手術後からときどき、手術した側の胸の下の脇腹やや身体の前側に、引き攣れたようなちょっとした痛みを感じることがときどきありました。といっても、一年に一、二回、数日間という感じで、感覚としては軽い肋間神経痛が体表で数日間、起こっているような感じで、まあまあやり過ごせます。ちなみにモンドール病の痛みがどのように起きるのかというと、
(1)静脈に血栓ができてその静脈が皮膚側に張り付く
(2)静脈が張り付いている皮膚が伸びる動きをすると、静脈ごと動きに連れて引っ張られて痛い
と、いう具合です。
しかし今回は以前より格段に痛く、うつぶせになると痛い。バレエのレッスンも一回、諦めたくらい痛い。しかもなんだか前より痛みのある部分の筋状の筋肉かリンパ腺っぽいところが盛り上がっている。乳がんがリンパ節に転移してても困るし、というかそれでここまで痛かったら終活を考えるレベルなので、かかりつけ医に診てもらいにいきました。
そのときの様子がこちら。治療法なし、長くて三~四週間、痛みが治まるのを待つしかないというのは、なんとも歯がゆいものですね。
しかし、わたしの場合、血栓ができて盛り上がっている血管が張り付いている部分は四~五センチなのですが、人によっては三十センチ、脇の下から腕を通って手首にまで至る場合もあるそうで、うーん、それは痛かろう。
なお、中年期以降の女性が主な患者であるモンドール病ですが、好奇心のままにいろいろ読んでいたら、陰茎に発症する例というのを読んでしまいました。わたしには備わっていない器官が読んでいる間、痛い感じがずっとしていたので、それについてのリンクを張るのはやめておきます……。また一つ、大人になった気分ではあります(いや、年齢的には五十代に突入し、もう充分、大人なんですが)。
あ、大人といえば、はたちのみなさま、おめでとうございます。世の中にはこんな重大でもない奇病が潜んでいるので、おかしいな、と思ったらぜひ検診へ! 行っても打つ手なしっていうケースもこのように、あることはありますが、安心代だと思って。わたしも自分がはたちのときには、こんな奇病の存在も、ましてや自分が将来、罹るとも思ってもいませんでした!
今週のお題「二十歳」
『シュヴァルの理想宮』@恵比寿ガーデンシネマ
映画『シュヴァルの理想宮 シュヴァルの理想宮』本編映像~理想宮作り~
奇人変人を見に行ったはずなのに、世の生きにくさと死による救いに泣かされて帰ってきました。おかしいな……。
クリスマスに見ようと思っていたわけではないのですが、ちょっとしたことで子どもが早死にしてしまう時代のキリスト教の救いについて、考えさせられる映画でもありました。
それはさておき、演技(壮年から死の迫ったおじいちゃんまでが真に迫っていてもの凄い)や衣装(あそこまでクラシックな衣装の神父は昨今、庶民の葬儀くらいじゃ見られません)、メイク(演技と同じく。特にシュヴァル役はほんとに全部、同じ俳優かと疑うほど)、照明と撮影(ランプや暖炉の灯りの瞳への映り込みの雄弁さ!)、そしてドローン大活躍の宮殿など、とにかく細部まで徹底的に、しかしあざとくはなく作り込まれています。そうでもしないとシュヴァルとその理想宮を描けないという執念を感じるほどに。
で、見終わって一年で一番混み合う恵比寿ガーデンプレイスの人波から逃れ、「そういえば劇場予告で知ったから、映画の公式サイト見てなかったな」と検索したところ、本物のシュヴァルの理想宮が出ました。
うん、今これからは見学に行かないから……。
なお映画館から理想宮近傍のリヨン空港まで最短で14時間半ほど、その後自転車で4時間くらいって感じですね。自転車にしたのはこの辺、電車が通ってないので。
なお徒歩だと個人が歩くには地理的に大変ヤバい地域を突っ切って107日。西遊記?
交通の便が悪いフランスのこの手のビザールな観光地といえば、マルキ・ド・サドの所領のラコスト城は国立公園内なので電車が通っておらず、タクシーチャーターして25年前で8万円くらいかかりましたが、シュヴァルの理想宮の立地も国立公園内とかなのかしら?
待降節なのでクリスチャンぽいことを書く・その2
バブル期、十二月の会社の飲み会の二次会で、「クリスチャンならクリスマスソング歌ってよ~」と言われた。そこでわたしにとってのクリスマスソング、つまり教会で歌われるクリスマスの歌を歌ったところ、「なにその辛気臭い歌~」と笑われて、プチっと切れたことがある。辛気臭いだと? しみじみとしたこの歌の美しさが分からないとは、もののあはれを知らぬやつめ!
なおこの時歌ったのは「星のみ匂いて」の聖歌*1、『ああベツレヘムよ』である。
そこから「お話し合い」で、相手にとっての「ごちそう食べてケーキ食べてシャンパン飲んでプレゼントもらう」「クリスマスソングといえばプレゼント交換の際のB.G.Mの定番、『赤鼻のトナカイ』あたりを想定」というクリスマスと、クリスチャンであるわたしにとってのクリスマスの違いについて「すり合わせ」をした。
わたしだけでなく、先方も酔っぱらっていたので、翌日にはすり合わせた内容については忘れていたようだが、わたしについては「めんどくさいやつ」という印象が残ったようだった。
さて、その「すり合わせ」の中で、おそらくクリスチャン以外の方の多くが、今でも誤解していると思われることがある。これまでも書いたことがあるが、リマインドとしてメモしておく。
Q1:狭義のクリスマスとは12月の何日の何時から何時を指すでしょう。
A1:ユダヤ暦を継いでいる教会暦では、日没が日付の変わり目となっている。このため、24日の日没から25日の日没までを「クリスマス」という。
Q2:クリスマス・イヴとは何を指すものでしょう。また、12月の何日の何時から何時まででしょう。
A2:クリスマス・イヴの「イヴ」は「イヴニング」と同義であり、クリスマス・イヴは「クリスマス当日の夜」を指す。日本では「クリスマス(12月25日)の前の夜」あるいは「12月24日の一日」と認識されているが、A1で記したように、教会暦的な「夜」とは日没後の時間を指すため、クリスマス・イヴ=クリスマス当日の夜=12月24日の夜となる。
イヴを「前夜」と認識し、12月23日を「クリスマス・イヴ・イヴ」などといっているものを時折見かけるが、そういうわけで、「クリスマス・イヴ・イヴ」は「クリスマスの夜夜」となり、意味不明な誤用である。
Q3:イエス・キリストの誕生日はいつでしょう。
A3:「クリスマス」は「キリストのミサ」を指すが、様々な歴史的研究から、イエス・キリストは12月には生まれていないだろうというのが定説である。教会で歌われるクリスマス・ソングにも反映されているイエス・キリスト生誕の日の様子のひとつに、このようなものがある。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカによる福音書 2章 8~21節)
ベツレヘムとは、現在のヨルダン川西岸地区南部にある場所である。12月の気温は東京と大差ない。
そのような寒さで、羊飼いが夜を徹して屋外で羊の放牧をするかといったら、NOであろう。つまり、イエス・キリストの誕生日は12月ではなく、もっと温暖な季節だったと思われる。それが12月25日と定められた経緯は、キリスト教がローマ帝国の国教となる過程での政治的な判断によるものだ。
つまり、歴史的なもののわかったクリスチャンにとって、クリスマスというのはイエス・キリストの生誕を記念する祭日であって、その誕生日を祝うものではないのである。12月25日は、世界には戒律を超えて神の愛があると説き、その愛を人と人の間に在らしめることが地上を神の世にする、と考えたその人が生まれたことを記念する日なのだ。
そして、イエス・キリストの誕生日がほんとうはいつなのかは、いまのところ、誰も知らない。
今週のお題「クリスマス」
キラキラ地名・インターナショナル・シティーハンター
◆キラキラ地名
南アルプス市が誕生した時にも驚かされましたが、山形市アルカディア、という住所があると知って、キラキラならぬクラクラしています。ここで育つと、わが青春のアルカディアになるわけか。
キラキラ地名はほかにもあります。新潟市西区ときめき西、がそれ。
かつて、「ときめき橋」にちなんで名づけられた「ときめきタウン黒埼」の最寄り駅として「ときめき駅」っていうのがあったようですね。今は配線・廃駅。「ときめきタウン黒埼」はその後、住居表示変更されて「ときめき東」「ときめき西」になったとか。バスに「ときめき経由」というのを見つけて知ったのですが、新潟だけに朱鷺と関係あるのか、それともないのか。
◆インターナショナル(L'internationale)
必要があっていろんな言語での『インターナショナル』を聴いているんだけど、このフランス語版『インターナショナル』へのわたしと夫の人の印象がずいぶん違った。
わたし「リア充っぽい。ジョックスっていうか。デブって言われてる気がするし」
夫の人「えー、パリの貧しい地区でオールド左翼がメートル上がってるようにしか聞こえな〜い」
なお友人たちも「虚勢張ってる感じだし夫さんに一票」「安酒場感がすごい」とかいうので、わたしもだんだんそう思えてきました。はっ、そうすると、サビの子どもや女性が合唱してるとこは、虚勢張ってるメインヴォーカルにしか聞こえてない幻影なのでは……。
なお、こちらはほんとにリア充な、米語でジャズバージョンの『インターナショナル』。
「International + jazz」で検索してもジャズフェスばっかりヒットして、なかなか探し当てられなかったのですが、「L'internationale + jazz」で見つかりました。もともとはマイケル・ムーアの映画『キャピタリズム マネーは踊る』のエンドロールに流れていて知ったバージョンです。
町山智浩がマイケル・ムーア監督映画『キャピタリズム ~マネーは踊る~』を語る
◆シティーハンター実写版
『シティーハンター 史上最香のミッション』、そこまで、そ・こ・ま・で、そっこっまっでっ、原作に寄せますか! バカだなー(褒め言葉)
いや〜、みんなフランス語音声日本語字幕版、日本語吹替版の順で二回見たほうがいいよ!吹替版を先に見るとその印象しか残らないのでは、と日本語字幕版を待っててよかった。ふだんフランス語をおしゃれ言語と認識しているだけに、起こっていることのギャップがまたたまらないものがあります。
ちなみに字幕版はTOHOシネマズ新宿で見ました。今のところここでの字幕版は、一日2〜3回上映のようです。吹替版も新宿で見る気満々! 海坊主の「どーなってんの、あれ」という頑丈さをまた見るのが今から楽しみ。
あと、ヨーロッパの創作物によくいる「イワンの馬鹿」「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」的なオリジナルキャラクターの、シティーハンター世界との無理ない融合に、おおっ!と思いました。名前もパンチョなのは計算のうちなのかな。
同人誌の文字校正
プライベートな校正いろいろ
私的校正センサー基準
だが、その他サークルの本は、お店のファンブックという性質上、
校正的に自サークルの本を顧みれば……
・てにをは
主語・述語・目的語をつなぐ「てにをは」に不自然さを感じたら著者に指摘。 どんなにクールな数学的知見が著わされていても、「てにをは」が適切ではないために伝わりづらい、 もしくはそこからボタンの掛け違いが始まり、結局、 なにがクールなのかわからなくなってしまう、ということが起こらないよう、まずここをチェック。 一文が長すぎて「てにをは」 が迷子になっていそうな場合も同様に、適宜「、」や「。」を入れる提案をする。 ・漢数字・洋数字・ローマ数字などの統一
一行目では「一つには」とあるのに、次の行では「2つあるうちの」となっているような場合から、 本文と図に振ってある数字や記号が同種であるかどうかなど。 こういうのは学習参考書やドリルの校正をしている人が得意なのか も、などと思いながら校正する。 ・略称
著者にとって自明すぎるために、理数系用語が初出で略称ということがよくある。 もしくは書いているうちにテキストの前後を入れ替えたために、「正式名称(略称)」の初出が後段になっているなど。 ・固有名詞の確認数学者名などは検索して一般的な日本語表記を確認。
などを徹底する。
プライベート校正、もう一つの理由
*1:なんなら頼まれもしないのに、通勤中には車内吊りやシール広告の文字表記チェックも無意識にやっている。
*2:今回の冬コミだと21時過ぎに「明朝まで40ページお願い!」とかね……。
*3:なお、誤字脱字衍字についてブログやブコメで書くと「うわああ、(中略)私のブログ何て、誤植だらけだなあ」などとおっしゃる方がたまにおられますが、noteなどの有料ブログでない限り、無料ブログのそれらは気にならないので、ご安心を。だって、「無料で」読ませていただいてるわけですから。ただしインターネットは双方向メディアなので、こちらもブクマなどで誤字などを指摘することはあります。ちなみに誤植は活字を誤って植字すること=印刷物における誤字脱字衍字を指すので、ブログのような電子媒体に使うのは、ちょっとどうかとは思います。
*4:げんめり=友人間で流通している幻滅とげんなりの合成語。
*5:さいわい外食でここまでのケースに遭遇したことはないのだが。ちなみに今夏のコミケで入手した薄い本でも、
魔夜峰央原画展を先生出身地で見る
Noism公演から一夜明けて翌日は、新潟では新年五日までの魔夜峰央原画展へ。
この原画展、神保町の明治大学 米沢嘉博記念図書館を皮切りに全国を回っているのですが、どうも地方での方が作品が多そうだし、会場装飾が豪華そう。福岡会場あたりのレポでそれに気付いて、今回ちょうどいいので見に行きました。
そしたら神保町が無料だったのに比べて入場料がかかるからか、やはり充実してるんですよね。まず会場装飾が美しい。渋めの金色と黒で統一されていて、間仕切りタペストリーも同じく。作品数も多いし、それにあわせて魔夜峰央先生のコメントも増えている。結果、大充実でした。
グッズもたくさんあってなかなか強烈。中高生、いや大学生くらいまでだったら爆買いしたかも? 金色、銀色のマグカップ(もちろんパタリロ柄)や金銀その他各色のクリアファイル、眼鏡拭き付き眼鏡ケース、お菓子、図録。ただ、魔夜峰央先生の原画は実物を見ないともの凄さがわからないので、図録もグッズも買わず。
原画のもの凄さとしては、ラシャーヌの目の中の虹彩外側に、弧の形に1.2ミリと1ミリくらいの細い短い線でホワイトが引いてあったのが、いちばん恐ろしかったです。どうやって引いたんだ……。
今週のお題「2019年買ってよかったもの」