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霊長類ヒト科アゲアシトリ属ジュウバコツツキ目の妄想多め日録

『赤毛のアン』の二次創作を見る思い

Netflixの『アンという名の少女』、アン・シャーリー役やリンド夫人役が子どもの頃から想像していた見た目にぴったりで、最初は喜んで見ていました。高畑勲さんが見ていたら嫉妬してしまうんじゃなかろうか、と思ったくらい。マリラとマシューが綺麗めなのを意外に思ったくらい。

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が、原作からの改変がどんどん増えていき、だんだんと「?」という気持ちに。とくに紫水晶エピソードが改変されてるあたりから、「?」となってきて、詐欺師とかギルバートの船乗りエピソードにはちょっと引いていました。レイヤーケーキの件も盛りすぎというか……。マリラとマシューの過去エピソードは余計に感じないんだけどなあ。

結局、「これは並行世界のアンの物語なんだ」「アンが好きすぎる人に寄る二次創作なんだ」と思うようにして最後まで見たNetflixの『アンという名の少女』。ここで私的「許せない改変箇所」ワースト3を上げていきたいと思います。

 
許せない改編ワースト3:
ルビー・ギリスのキャラクター造形が、カジュアルにストーカーしそうな妄想癖でヤバい。こんな性格ではないよね……。
 
許せない改編ワースト2:
マシューが死なない。ある意味、アンの成長の機会を奪ったともいえる。高畑勲版のこのエピソードは、人の生と死について深く丁寧に描写してあったのに。
許せない改編ワースト1:
ボートでのコーデリアごっことその顛末をなぜ削ったァァァ! ここですよ。ギルバートとの仲直りへの転換点となるこの重要なシーンがまるごとないなんて!
 
番外:
・二週間とか時限を切っておきながらドラマオリジナルの先住民エピソード放り投げ
・これもドラマオリジナルのダイアナがラストでどうやって親の気を変えさせたのか不明
 
 
そんなわけで松本侑子訳『赤毛のアン』を読み始めました。こちらはとてもよいです。
赤毛のアン (文春文庫)

赤毛のアン (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクドナルドで告げられる運命

コーヒー味のお菓子に目がないので、ティラミス味の三角パイを食べに、うっかりマクドナルドに行った。

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開けてちょっと後悔。このパイは焼いてあるんじゃなくて揚げてあるし、猫舌のわたしは中のクリームが熱くてうまく食べられないのを忘れてた。
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ちゃんと閉じてないらしきパイのどこかからクリームが出てしまったりなどがあってようやく食べ終え、「これならティラミス買ってきて自分で10枚切り食パンでホットサンドにした方がよかったんじゃないか」とため息をついたところで、ケースのベロになにか書いてあるのを見つけた。
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そんなこと言われても……。いや待てよ? 運命の人といっても必ずしもラブラブな運命とは限らないよな。「やつを殺すまではわたしは死ねん!」みたいなのも運命といえば運命だし、しかしそれを言ったら隣の席で笑い転げてる女子校生も、今日この時、わたしが三角ティラミスパイを食べる時に隣の席で笑い転げるという運命の人なわけだし、わたしが食べ終わってトレイを片付ける時に近くの席でスマホゲーに没頭している人も、わたしがトレイを片付ける時にその席に座っているという運命の人なわけだし、店を出て前で信号待ちしている時に同じ方向に向いて待っている人も、横断歩道の向こう側の人も今日この時ここで行き合う運命の人たちなんであって、運命の人と言い出せば、正しくは出会う人行き交う人すべてが運命の人なのである。

 

って、この話、たぶん前にもしたよね。

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『アイヌモシㇼ(AINU MOSIR)』@ユーロスペース

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思った以上にガツンとやられた映画だった。去年、旅行してきた先を舞台に、いかに自分が彼らから簒奪し続けているかを突き付けられるのだ。

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同時に、じゃあ洋服を着て椅子とテーブルで生活して、チベット人という少数民族支援を細々と支援している自分はなんなんだ?という気持ちにもなる。そんなこんなで打ちのめされて、日本民藝館で特別展『アイヌの美しい手仕事』をハシゴするつもりが、そのまま帰ってきてこれを書いている。

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映画は、冒頭の位牌と前半の仏事が、まずもう居た堪れない。ここがキツかったのは、日本で宗教的にマイノリティなカトリック・コミュニティで、仏事をほとんど知らずに育ったわたしの事情もあるとは思う。もちろんキツいだけではなくて、最後にまた位牌が写るシーンまでに、「あれ、じゃあ押し付けられてる仏教的に送る儀式は無効ってことなんじゃ?」と、思わせてくれる。

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ただ、そこまでの要所要所で、アイヌの人々が日本語で明治時代のアイヌの出来事を学んでいたり、儀式の最中にふとカメラが写すのは「カタカナ」で音写されたアイヌ語の奏上文だったりと、ところどころに居心地の悪いシーンが挟まれる。だが、それこそがこの映画の存在理由の大きな一つだと思う。

また、演者がみんな素晴らしく、ある意味、物静かなアイヌ版『ミッドサマー』であり、かつアイヌ自身がアイヌを演じている点で、より良作だと思う。

ainumosir-movie.jp

あと、リリー・フランキーは胡散臭いおっさん演らせるとほんと上手いね! 彼の存在が、映画のドキュメンタリー的な部分と現実的な作劇部分、ファンタジックな部分を繋げる米糊的な役割にもなっているのではないだろうか。

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栗田 哲男 写真展:チベット、十字架に祈る@キヤノンギャラリー銀座

子どもの頃、クリスマスの時期になると、「なぜ近所のみんなもおうちでクリスマスケーキを食べたりプレゼントをもらったりしているのに、教会のクリスマスミサには来ないのだろう?」と考えていた。

そんなことを思い出したのは、この写真展の作品では、キリスト教徒ではないチベット人も教会で、キリスト教徒のチベット人と共にクリスマスのケーキを食べて笑い合っていたからだ。

わたしが育った日本のカトリック・コミュニティではそういう世間との融和はあまりなく、コミュニティの外には日本の「世間」があり、社会はその両者の上に覆いかぶさっているように感じていた。

ローマ教皇が東京に来てのミサに参加するので学校を休んだ時の周囲の反応には、「ははァ、これが『異端者』への態度か」と思ったものだし、主に外見的な要因から、「お前のお母さん吸血鬼だろ?」などとからかわれた時には発想の飛躍についていけずに、どう反応したらいいのかわからなかった。

ただ、そうした世間との軋轢があったために、ほかの宗教やその文化に早くから興味を持ち、ひいてはチベット支援をするに至ったことは確かだ。

そういう過去があってこの写真展を見ると、解説していただいた教会堂建設や宣教師の神父の墓所造成の経緯、入り口から右繞して見てきて最後になる作品の見方も含め、意義深い鑑賞体験だった。

教会堂は所々の意匠がチベット文化風。龍や鳳凰が天使と並んで吉兆として描かれ、チベット仏教紋様のエンドレス・ノットが侍者室と思しきドアの上の壁に繰り返し描かれていた。そこに、チベット人大工たちの「喜ばしい意匠を使おう」という意気が感じられるようだった。

その外観はまるで中世ヨーロッパの博物誌にある、ヨーロッパの人々が伝聞や想像からカトリック教会を雛形にして描いた東洋の寺院のように、エキゾチックな造り。堂内の造り自体はわたしもなじみ深い、内陣に向かって身廊、その左右に側廊、身廊の入り口に前室という形式。袖廊はないようにも見える。堂内のアーチ部分中央に描かれる天使は、ヨーロッパでは顔だけの幼児の左右に翼が広がっているところ、大人の顔に翼が生えている。ちょっとこわい。

www.kawade.co.jp

神父の墓所は小さなお堂のような、入り口部分は沖縄の亀甲墓にも似ているような形で、お墓を作る習慣のないチベット人たちが、土葬が基本のカトリック教徒のために作ってくれたのだな、と思うとなにか泣けてきた。

そして、当たり前だが、写真に写る人々の祈りの時間の表情は、かつてチベット仏教徒の写真で見たものと同じ真摯で真剣なもので、そこに胸を衝かれた。

ところで、会場では時折チベット語典礼聖歌が流れるのだが、言語に引きずられてか、ラテン語聖歌の名残はほとんどない。だが、わたしはどこかでこれによく似たものを聞いたことがある。なんだっただろう……。しばらくして思い出したそれは、長崎の「オラショ」だった。

www.christiantoday.co.jp

さて、いちばん大きく引き延ばしてある写真の一つ、合唱隊席から見下ろしているような教会堂の写真内に写る掲示板に、「二十三主日」とあった。この日に読まれる福音は、マタイ書18章15〜20節。その文末にはこうある。

 

はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

 

チベット仏教徒と、チベット人キリスト教徒が融和して生きる共同体を写したこの写真展に、なんとなく響き合う言葉であるように思いながら読んだ。

 

www.tetsuokurita.com

 

※この写真展は東京・銀座では11月4日まででしたが、大阪ではキヤノンギャラリー大阪で12月3日〜9日に開催されます。テーマの一つは「マイノリティーの中に存在するマイノリティー」。お近くの方、ぜひご覧ください。

dc.watch.impress.co.jp

レッツ軽率ライティング!

例年なら古本まつりの神保町、今年は「神保町ブックフリマ」と、

note.comと「おもしろ同人誌バザール」が開かれました。

hanmoto1.wixsite.com

どちらも新型コロナ感染防止対策が取られていて安心。といっても前者は「本の雑誌」社さんにしか行かなかったので、ネット上の情報からの印象です。

 

https://twitter.com/Hon_no_Zasshi/status/1322704869698928642?s=20

https://twitter.com/Hon_のno_Zasshi/status/1322704869698928642?s=20

「神保町ブックフリマ」の「本の雑誌」社さんで買ったのはこちら。買おうと思っていた本がサイン本になっていた左の本と、欧州で再度ロックダウンになる今、日本でもこの冬、必要な心構えかも?と、右の本を。

スーツは、スーツが着られるというだけで男に生まれたかったとかなり悔しい思いを抱いたことのある(けど生物学的に男になりたいというわけでもない)衣服なので、スーツがいっぱい出てくるこの本も歯噛みしながら読むんだろうなと思うと、買うのを躊躇していたんですよね。

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おもしろ同人誌バザールのほうは、午後6時までと勘違いしていたら、16時までだったので、どうしても買いたかった岡田あ〜みん同人誌のブースのみ滑り込みで。リアルで「あ〜民ですか?」と問われる日が来るとは、感慨深いものがあります。

時間を勘違いしていなければ、ほかにも回りたいサークルがいくつかありました。こちらとか。

 

そして「おもしろ同人誌バザール」でうかがったブースと入手したヤバいブツはこちら。

 

 

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ところでこの↑写真には映っていない、岡田あ〜みん及びりぼん・ちゃお本と無関係な内容のペーパーのあとがきに、真理が書いてありました。


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正に! よーし、これからもオフセ本コピー誌月報と、軽率に書いちゃうぞ!

隅から隅まで読んだらこれでたぶん半年は潰れるっていうくらい濃い、この同人誌たちみたいにはいかないけどね。

黒タピオカ入りバニラミルクの精

オフィスビルの10階でひとり深夜残業していたコロナ禍の、残暑厳しい秋の夜だった。ベランダ方面から窓になにかぶつかる音がするので振り返った。うわっ、誰かいるし、窓ガラスこつこつ叩いてる!強盗か? しかしそいつは強盗にしてはおしゃれすぎる格好をしていた。白地に不規則な黒の水玉の散ったおしゃれカットソーに、カラーコーディネートしているのか着けている布製マスクも本体は白、耳掛け部分は黒の短髪の茶髪男子だ。

zoomを立ち上げ、何かのときには誰かリモートワークで起きてるやつが見てくれることを祈りつつ、三つある窓のロックを解錠、10センチちょっとの隙間を開けたところで、そいつは甘ったるいバニラの香りとともにぬるりと室内に入って来た。えっ、ちょっと待て、猫でもないのに、今、どうやって入った? 混乱していると、そいつは言った。

「こんばんは、先日、助けていただいたブラックタピオカ入りバニラミルクっす。愛称、黒タバミっす」

「は?」

黒タバミ「あの、こないだUber eatsの誤配で隣の空室のドアノブに下げられてたのを連絡してもらったじゃないっすか」

そういえばそんなことがあった。Uber eatsには「そっちで処理してくれないか」と言われたのだが、甘い飲み物類が苦手、タピオカドリンクももちろん嫌いで触れたくないのと、Uber eatsへの教育的指導として突っぱねて引き取りに来させたのだ。

それにしてもこいつがあの時助けたタピオカドリンクだとしたら、ずいぶんフランクというか上から目線ではないか。

「はあ。どこから来たの?」

黒タバミ「屋上のヘリポートまでヘリで、そこからはロープで」

「あの、インターフォンって知ってる?」

黒タバミ「機械通すと人の姿に見えないんすよねえ。カップ入りのブラックタピオカ入りバニラミルクのままなんで、下手したらインターフォンのカメラの視野から外れる可能性があって」

「それで肉眼で間違いなくヒトに見える方法にした、と」

黒タバミ「はい」

「……」

漂う甘ったるいバニラの香りが濃くなってきて気分が悪い。室内の酸素が薄くなった気さえする。

「じゃあ、この部屋の入り口から出て行ってくれるかな?」

黒タバミ「や、恩返ししないと帰れないっす」

「この部屋から出てエレベーターに乗って帰ってくれることが恩返しだから」

黒タバミ「……。帰るとこが、ないんすよ」

「そんなこと言われてもね」

黒タバミ「あのあとお店、潰れちゃって」

「いや、うち関係ないし、もともと隣のオフィスへの誤配でしょ? 恨むなら誤配したUber  eatsの配達員に」

黒タバミ「いや、自分、恨みとかじゃなくってマジ恩返しで来たんすよ」

話が通じなさそうだ。その間にも部屋に漂う甘い香りはどんどん強くなってきた。割り箸を持って空中で振り回せば綿飴でもできそうな具合だ。

黒タバミ「そもそもタピオカ界の雄、ゴンチャ・ジャパンの社長に原田泳幸が去年の12月に就いたのが不幸の始まりなんすよ」

いや、タピオカドリンク屋の大量閉店は新型コロナで客足が激減したせいだろ? いくらあの原田がキング・ボンビー伝説持ちでも、タピオカ業界ごと葬り去る濡れ衣着せるのはどうなんだ? うう、しかし言い返そうと口を開けるだけでこの甘ったるい匂い。たまらん。頭も痛くなってきた。

「とにかくそれもうちに関係ないから」

なるべく息をしないようにしたまま早口で言って、黒タバミ男子の両肩を後ろから掴む。

黒タバミ「ちょちょっと何なんすか?」

息を止めてぐいぐいとそのまま押してオフィス入り口脇に片手で男子を押し付け、片手でドアを開け、足でドアを押さえて両手で男子を外へ押し出し、入り口を閉めて施錠した。その途端、視界は白い靄に包まれた。

 


「タカハシさん! タカハシさん!」

デザイナーのフクナガさんの声が聞こえる。パシッ! いてっ、な、何? 視界に飛び込んできたのはオフィスの相も変わらぬ味気ない天井と、リモートワークをしているはずのデザイナーのフクナガさんの眉間に皺の寄った顔、そして振り上げた左手だった。

「わっ、ちょっと待って! 起きる! 大丈夫だから!」

フクナガさんの眉間の皺が解ける。

「よかった、急にzoom立ち上がって何かと思ったら」

そうだ、あいつ! あのあとまた侵入してこなかっただろうな?

「入り口のドアにタピオカドリンクぶちまけたみたいになってますけど、タカハシさん、もしかして……痴話喧嘩?」

「えっ?」

「よく見えませんでしたけど、なんか若いおしゃれ男子連れ込、や、一緒にいました、よね……?」

フクナガさんの眼がキラキラしている。くそっ、機械を通すとタピオカドリンクにしか見えないんじゃなかったのか? やっぱりあいつ、オフィス狙いの強盗か不審者だったんだな。

「わたし、誰にも言いませんから。ほかにzoom入ってた人、いませんでしたし!」

フクナガさんの眼がいっそう輝きを増す。マスクをつけているせいか、眼の輝きが際立って見える。鼻息も荒いようだ。そうだ、フクナガさんは重度の妄想族で腐女子だった……。

「それで、やっぱりその、タカハシさんが振った感じ? だから彼、腹いせにタピオカドリンクぶちまけて帰ったんですよね?」

昨晩ほどではないが、オフィス入り口からバニラの甘ったるい香りが漂う。頭が痛い。

「だって、出張ゲイボーイでタカハシさんがチェンジしたなら、お店の評判にもかかわるし、タピオカぶちまけたりしませんもの」

違う、違うんだ。しかし……、どこから何をどうやって説明すればいいんだ。頭痛は止まない。

 


その日は結局、不審者がタピオカドリンクをオフィス入り口外にぶちまけたという理由で警察に連絡し、その立ち会いのもと、ビル管理室でビル1階の一つしかない共用エントランスの昨晩の映像を見せてもらったり、そしてあのおしゃれ男子が映っていないことを確認したりして終わった。フクナガさんは、

「えっ、じゃあこのビル内のほかのオフィスの男の子ですか? 彼」

と、妄想を更新させていたが、そうではないことを祈りたい。むしろ本人が言っていたように、タピオカドリンクの化身であってほしい。フクナガさんはそう考えるわたしと一緒に、ぶちまけられたタピオカドリンクを片付けてくれたあとに帰って行った。

それからわたしはテイクアウトの夕食を買いに、ひと気のない街に出た。今日も人がいなさすぎて感染しようもなさそうだ。

予約しておいた焼肉弁当を片手に下げオフィスに戻ってくると、またしても隣のオフィスのドアノブに何かがかかっている。大きさからしてそれもなにかの弁当のようだったが、わたしはなるべく見ないようにしてオフィスに入った。今回はどこにも連絡はするまい、と心に決めながら。

 

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※「月刊暗黒通信団注文書」2020年10月号初出、一部改訂

東京バレエ団「M」モーリス・ベジャール振付@東京文化会館

三島由紀夫没後50周年記念公演とのことで十年ぶりに上演されるバレエ、三島由紀夫をモチーフとしたベジャール作品「M」を見てきました。

 

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ベジャールが能や狂言、歌舞伎、盆踊りの日本の踊りの動きに精通していて、スムーズにバレエに取り込んでいるのは憎たらしくなるほど。

幻想的なところは泉鏡花を思わせるところもあり、三島の鏡花への評価はどうだったのだろう、と確かめたくなったり。最初と最後に三島を導くお祖母さんは、若いお母さんだったら鏡花の世界だよなあと思いながら見ていました。周りは『天守物語』のごとく、人間ではない美しい海の精たちに囲まれているわけだし。

和弓のシーンは、「もちろんこの後に聖セバスチャンが現れるんだよね」と思ってはいてもヒリヒリする緊張が漲り、満月のような鏡と、海のように波打つ膜も面白かった!
ダンサーが仰向けで大の字や腹這いになると、鏡のなかでは磔になっているようで、聖セバスチャンからの連続かなと思ったり、あの膜の上でよく滑らず踊れるなあとヒヤヒヤしたりとか。

あと、あんな大きな鏡を歪みなく作るのって凄いな、とか、金閣寺のシーンの背景のあれは茶室のにじり口なのかな、とか衣装の色は初演からこれなのかな、とか踊り以外にも気になるポイントがあり、舞台上でもあちこちでいろいろなことが起こるので、目が忙しい舞台でした。

そして、自分でも意外だったのは、今まで三島由紀夫にそう思ったことはなかったのに同情の思いが湧いたこと。死なないとペルソナを統合できないところまで来てたんだなあ、という同情なので、三島はそんなふうに同情されるのは厭だろうけど。

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